先日ある話題作を観に行きました。
監督のポジション、作品の雰囲気、信頼できる方の高評価があり、面白そうだと思って観に行きました。けど、残念だけど、「普通に面白かった」という感想になってしまい、勝手に残念な気持ちになっていました。
「ちょっと期待値上げすぎちゃったかな?」
「登場人物、誰にも共感できなかったから?」
「派手な演出があったから?」「もっとキャラクターの掘り下げがあったら?」
「登場人物の心情はなんとなくわかるけど、深みがないから?」
など、刺さらなかった言い訳をたくさん考えたんですよ。
いい作品、いい映画であることは頭では理解できるので、自分自身の解釈が浅いのかなと思いまして、いろいろな考察動画を漁りました。感想も観まくりました。思ったよりも理解できていたし、プロ並みの解説を聞いて「そうか、そういうことだったのか」と新たな発見も得た。
けどけどけど!肝心の心が震えない。
もー、頭ではいい作品だってわかってるんです。監督にも好感を持っているんです。役者さんもすごく素敵だったんです。なのに!なんで!もんもんとした数日を過ごしました。
その数日後に、別の映画を見たんです。正直、心が震えなかった作品よりもずっとストーリーはシンプル。そして登場人物に誰にも共感できなくて、察するところはたくさんあれど、心情の掘り下げがめちゃくちゃあったわけでもない。ぶっちゃけちょっとご都合主義なシーンもあった。なのに、「もう一度観たい」って思ったんですよね、心から。好きな理由を言語化してあげたらたくさんあったと思います。
けどなんか、そういうの置いておいて、「もう一度観たい!」って心から思えたんですよね。
カシミヤフィルムをはじめてから、自分の感想を言語化することに重きを置いていました。
そして、作品を俯瞰的に観ること、作品の背景や監督の意図などを知ることで、映画の感想により深みを与えることを実感してまして。こういうことは、映画をより深く楽しむうえで大切なことだと思ってます。
けど、それって「好きという気持ちが前提にあっての話」なんだなという。
本当に大切なことに気が付きました。ごく当たり前のことです。
「この映画好き」っていう気持ちを言語化したりしてるだけなので、作品の評価を理解できることと、その映画が好きであることはまた別の話なんだな~。
めっちゃ当たり前の話なんですけど、「世間的な評価が高いのにハマらない映画を観る」という経験を久しぶりにしたためか、この当たり前のことに気がつくことができましたというお話でした。
そして、更に思ったことは「ハマる映画ばっかり観てたんだな」という発見。
これって、自分が好きな映画が何かってよくわかってるということですよね。
そればっかりじゃ発見がないので、いろんな映画を観たいと思うけれども、闇雲にみるのではなく、ちゃんと自分が好きそうな映画をチョイスできているのだと嬉しくなりました。
ちなみに、このめっちゃハマった映画は『バッドランズ』でした。何も起きてない状態で映像だけ観ていてもこんなに楽しいの、不思議ですね。理屈じゃないんです。好きなだけなんだな。

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