「1972年、27年間のアメリカ統治が終わり、沖縄が本土復帰。日本式の道交法になり車両が左側通行に。沖縄県内で事故が多発。」
テレビで見た幼い頃の記憶。リアルタイムに”戦後”を意識した最初で最後の記憶かもしれない。当時の沖縄が”海外”だったという驚きが、改めていまの日本人には国境意識がないことを知らしめる。
戦後生まれの日本人が意識しなくなった現代史というのなら、アジア諸国の多くの地域が20世紀前半日本の統治下にあったという事実はどうだろう。ことに、隣国のひとつである台湾の戦後すぐの時代には、公用語となった日本語による教育によって、一家族のうちの一世代の多くは日本語しか使えなかったという事実には驚く。
ホウ・シャオシェン監督作『悲情城市』(89)、台湾近現代史三部作の一本目(戦前編の『戯夢人生』、戦中戦後と現代を並行描写する『好男好女』と続く)、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞作品。
1945年8月15日、終戦、台湾人が日本人ではなくなった日。玉音放送が流れる中、ひとりの子供が産声をあげる。
戦後の台湾では、大陸中国が主権を取り戻す中、ニ・ニ八事件に代表される、本省人の反政府運動と党政府側との諍いが大きくなり、やがて大陸での内乱に敗れた中華民国国民党政府とともに、大陸から外省人たちが押し寄せることになる。小さな郷里に住む家族らにも時代の影響は脅威となり降りかかる。混乱が続く台湾は戒厳令が発令され、その後87年までの40年近くもの間その体制が続くことになる。
新たな抑圧のはじまりの中、長男を軸とした家族の大樹の中の、戦争に起因した欠落した枝木たちの行方と彷徨を、フレーム内外に、映画はとらえる。
地方部に暮らすある家族の、終戦からの4年間ほどを、トニー・レオン演じる聾唖の青年を中心に描いたこの作品、脚本は監督本人と二人の文筆家、チュウ・ティエンウェンとウー・ニェンチェン。ともに20代から30代にかけて台湾ニューシネマの中心を成した作家たちだ。
戦後すぐに家族とともに大陸から台湾に移ってきたホウ、大陸出身の父と台湾出身の母を持つチュウ、本省人の家系であるウーの三人は、戒厳令解除と前後し映画のプロジェクトを開始。時代が移ろい民主化に向かう台湾に、新しい風と混乱が訪れる。物語と”いま”がオーバーラップして見えたと彼らは言う。戒厳令下では、二・二八事件を扱った作品は検閲を通らなかっただろうと台湾映画界では言われる。物語の背景に、タブーとされていた史実をおくことにしたその勇気に、当時の彼らの熱を感じられる。
さらに、すでに人気俳優だったレオンをキャスティングした際、彼が台湾語を解さない香港人だったことで聾唖者という設定がなされる。
そういったいくつかの影響から脚本は稿を重ね、世界の政治地図が変わり出した80年代の終わりに、台湾の”悲しき現代のはじまりの数年間”を見事にフィルムに定着させた作品が生まれた。欧米の国際映画祭での評価は、当時の世界情勢と無関係ではなかっただろう。
80年代初頭、それまでの教育的な国産娯楽映画の中に、庶民生活を写実するタイプの作品が現れ始める。若い同世代の作家たちはお互いの作品に手を貸しながら製作を進めた。
エドワード・ヤンの『台北ストーリー』にホウ・シャオシェンが製作として自宅を抵当に入れ資金を集め、主演もし(ホウ作品の脚本家ウー・ニェンチェンも出演)、脚本にも参加。ホウの『冬冬の夏休み』にヤンが音楽を担当し出演もした。主な舞台となる医師の祖父の家は、脚本のチュウ・ティエンウェンの外祖父の診療所兼住家でもあり、物語は彼女の子供時代がベースとなった。ウーの少年時代の失恋物語は『恋恋風塵』になる(『風櫃の少年』、『童年往時・時の流れ』はホウの自伝)。
ホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンという、全く作風や性格の違う二人の天才を中心とした”ニューシネマ”の輪に加わった女流作家のチュウ・ティエンウェンは、自身の著作の中で、何時間も珈琲館に居座ってカット割りを考えたり、同時代の香港映画を観て衝撃を受けた日々を振り返り、何年間かの自分たちを”革命的な同志”だったと書いている。その群像劇のような思い出は、後に、ヤンの『カップルズ』やホウの『珈琲時光』に反映されたのかも知れない。
戒厳令下の約40年は、新しい芸術の波を産むための助走期間としては長すぎるものだが、時代の変わり目が近づいた80年代の台北に彼らがいた奇跡は、ツァイ・ミンリャンなどの後輩たちに自由な作風をもたらし、90年代当時、それまでの台湾ニューシネマ作品を観たタイのアピチャートポン・ウィーラセータクンは、自国語でアジア的感覚の映画を作るというアイディアと勇気をもらったという。さらに言えば、後のホウの作風が一時期、ヤン風の都市型ドラマになったことに唸ったファンもいるだろう。
『悲情城市』に見れる日本画や着物、調度品の数々、そして歌われる日本の唱歌は、全く知らない土地なはずなのに恐ろしいほどの郷愁をもたらす。高度経済成長期より少し前の昭和という時代がそこには残っている。日本は琉球諸島を含む南洋の国々を、大陸中国と競いながら主権を奪い、自国の文化をそれらの土地に残してきた歴史がある。
しかし、いにしえに遡れば大陸からの文化は朝鮮半島を経由し、われわれの土地に訪れたわけだし、それがいまも公式には国家としての承認が曖昧な台湾(中華民国)に巡り巡って残るという因縁が複雑な思いを抱かせる。
そして、彼の作品にはしばしば日本でのシーンが登場する。親近感を超えた深い思いを持たないわけがない。
『風が踊る』、『悲情城市』、『百年恋歌』、『恐怖分子』、台湾ニューシネマの主人公たちは、カメラを手にして人々を記録する。彼らは、時代を記録する作家たちの分身とも言える。
故エドワード・ヤンの名作『ヤンヤン、夏の思い出』(ウー・ニェンチェンも出演)が2025年のカンヌ映画祭に四半世紀ぶりに4Kレストアで帰ってきたというニュースが届いた。年末に日本で劇場公開される。
ヤンヤン少年が手にしているのは、やはりカメラなのだが、次の公開で、あの時代の台湾映画人たちが”撮る”こと(あるいは記録すること)の意味をどう映画に込めたのか掘り下げたい思いに駆られている。
『悲情城市』、あの8月15日に産まれた子の名前は「光明」。誰しも命名には未来を込める。
沖縄が本土返還され50年あまり、変わらず米軍基地があり、台湾では高まる大陸の軍事的脅威に備え、兵役制度が復活した。台湾海峡の緊張に、日本から、どんな気持ちでいればいいのだろう。
関連作品紹介
悲情城市 https://filmarks.com/movies/17803
監督:ホウ・シャオシェン
1989年製作/159分/台湾
原題または英題:悲情城市 A City of Sadness
配給:フランス映画社
劇場公開日:1990年4月28日
台湾現代史の激動期、1945年の日本敗戦から1949年の国民党政府樹立までの4年間を描いた、ホウ・シャオシエン監督の一大叙事詩です。
林家の長老とその息子たちの姿を通して、この最も激動的な時代を映し出します。本作は、ホウ監督がヴェネチア国際映画祭で最高の栄誉である金獅子賞を受賞し、その世界的評価を決定づけた傑作であり、台湾ニューウェーブの金字塔とされています。主演は香港のトップスター、トニー・レオンが務めました。
台北ストーリー|デジタルリマスター版
監督:エドワード・ヤン
1985年製作/119分/台湾
原題または英題:青梅竹馬 Taipei Story
配給:オリオフィルムズ
劇場公開日:2017年5月6日
エドワード・ヤンが、1985年に手がけた2作目となる長編監督作品。親の家業である紡績業を継いだ元野球選手のアリョン。彼の幼なじみで恋人のアジンはアメリカへの移住を考えている。過去の栄光にしがみつく男と過去から逃れようとする女、そして彼らを取り巻く人々の姿が、経済成長の中で変貌する80年代の台北を舞台に描かれる。主人公のアリョン役には製作と脚本も担当したヤンの盟友ホウ・シャオシェン。アジン役に当時のヤンの妻であった人気歌手ツァイ・チン。ウー・ニェンチェン、クー・イーチェンら台湾の映画作家たちが俳優として出演し、ホウ作品の脚本を数多く手がけるチュウ・ティエンウェンが共同脚本を担当。
冬冬(トントン)の夏休み|デジタルリマスター版
監督:ホウ・シャオシェン
1985年製作/119分/台湾
原題または英題:冬冬的暇期 A Summer at Grandpa’s
配給:Stranger
劇場公開日:2025年8月1日
ホウ・シャオシェンが、祖父の住む田舎でひと夏を過ごす幼い兄妹の姿を通し、自然の美しさや子どもたちの友情をみずみずしく描いた名作ドラマ。
兄妹の父親役でエドワード・ヤンが出演している。1990年に日本初公開。2016年および2025年にそれぞれデジタルリマスター版でリバイバル公開。
ヤンヤン 夏の想い出|4Kレストア版
監督:エドワード・ヤン
2000年製作/173分/台湾・日本合作
原題または英題:Yi yi (A One and a Two)
配給:ポニーキャニオン
劇場公開日:2025年12月9日
エドワード・ヤンが、台北に暮らす5人家族にそれぞれ訪れる人生の変化を静かに見つめ、2000年・第53回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した家族ドラマ。ヤン監督は2007年に逝去したため、彼が最後に完成させた長編映画となった。2025年・第78回カンヌ国際映画祭カンヌクラシック部門のオープニング作品として4Kレストア版が上映された。
関連書籍紹介
『侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ 』
朱天文(チュー・ティエンウェン)著
“1982年。
台北のカフェ、明星珈琲館で
私はこの人と出会った――。”
『恋恋風塵』『悲情城市』など、
不朽の名作の数々を侯孝賢とともに創り上げてきた
女流作家、朱天文が描く
「台湾映画がもっとも輝いていた、あの日々」
台湾ニューシネマのミューズによる、珠玉のエッセイ集。
侯孝賢と歩んだ台湾ニューシネマ時代/写真が語るあの時 この想い/侯孝賢を語る・侯孝賢と語る
解説 宇田川幸洋
カバー写真・撮影 エドワード・ヤン 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)と私の台湾ニューシネマ – 竹書房

【別冊】キネマ・ハライソ Vol.003 カシミヤおすすめアジア映画特集|开司米愛心亜細亜電影楽園
アジアの中でも映画がアツい7ヶ国(台湾・韓国・中国・香港・インド・イラク・ベトナム)のオススメ映画を掲載
掲載作品:花様年華/重慶森林/堕落天使/春光乍洩/2046/ペパーミント・キャンディー/カップルズ/百年恋歌/トゥクダム 生と死の境界/青の稲妻/長江哀歌/大樹のうた/青いパパイヤの香り/シクロ/夏至/そして人生はつづく/風が吹くまま
■参加クリエーター
コラム:shin/はるこ/kawamitsu/やすよ/mint/piiiyaaa/中原 陸/ぶぶ漬け イラスト:ふせ こに デザイン:エータ

