光と影の織り成す魔法が解けるとき|开司米愛心亜細亜電影楽園(カシミヤおすすめ アジア映画)

开司米愛心亜細亜電影楽園(カシミヤおすすめ アジア映画)

インド映画『エンドロールのつづき』は、観る者の胸にじんわりとした温かさと、言葉にしがたい切なさを同時に残す稀有な作品だ。映画への限りない愛情と、時代が移り変わることで避けられない喪失と変化。その二つが静かに交差しながら描かれる本作は、きわめて個人的な物語でありながら、映画を愛するすべての人に通じる普遍性を持っている。

主人公は、インドの小さな村に暮らす少年サマイ。彼が映画に出会い、光と影が織りなす魔法に心を奪われていく姿を追うこの物語は、単なる「映画愛の礼賛」や「懐かしさに浸るノスタルジー」では終わらない。映画という表現がこれまで何を人々にもたらしてきたのか、そしてこれからどこへ向かおうとしているのか。変化の中で失われていくものと、それでも確かに受け継がれていくものは何なのか。本作は、そうした問いを観客一人ひとりに静かに投げかけてくる。

サマイが映画に魅了されるきっかけは、ほんの偶然に過ぎない。しかし一度その世界に触れてしまった彼は、スクリーンに映る物語だけでなく、映画を取り巻くあらゆる要素に心を奪われていく。映写室から放たれる一本の光、回転するフィルムの微かな振動、画面の中で幾層にも重なり合う色彩。そうした「映画そのもの」だけでなく、「映画が生まれる現場」すべてが、少年の感性を強く揺さぶっていく。

とりわけ印象深いのが、映写技師ファザルとの交流だ。長年、フィルム映写機と共に生きてきた彼は、すでに時代から取り残されつつある存在でもある。ファザルの手つきには、映画をデータではなく「物質」として扱ってきた者ならではの確かな重みと誇りが宿っている。その動作一つひとつを見つめるサマイの眼差しは、まるで聖職者に接するかのように真剣で、そこには純粋な尊敬の念がある。

こうした細部の描写は、観る者に強いノスタルジーを呼び起こす。しかしそれは、単なる懐かしさではない。本作が描いているのは、かつての映画文化が持っていた「身体性」そのものだ。フィルムに触れ、機械を操作し、音や匂いを感じながら映画を上映するという行為。映画がかつて、目だけでなく身体全体で受け取る芸術だったことを、本作は丁寧に思い出させてくれる。

監督パン・ナリン自身の原体験が色濃く反映されていると言われるのも頷ける。だからこそ、どの場面にも作り物めいた嘘がなく、映画がアナログな存在であり、「触れることのできる芸術」だった時代の記憶が、鮮やかに立ち上がってくる。

しかし『エンドロールのつづき』は、過去を懐かしむだけの作品ではない。物語はやがて、「映画館の終わり」という現実に直面する。サマイの村にもデジタル化の波が押し寄せ、長年人々を映画へと導いてきたフィルム映写機は、時代遅れの存在となっていく。映写室も、フィルムも、そこで培われてきた技術や経験も、静かに役目を終えようとする。

その過程を、監督は誰かを非難することなく、淡々と、しかし深い哀しみを込めて描く。映写機が廃棄される場面で感じる喪失感は、単なる一台の機械の終わりではない。それは、映画史の一つの時代が確かに断ち切られてしまったことを象徴しているように思える。

それでも、監督は「映画は終わらない」と語りかける。サマイが仲間たちと共にフィルムの切れ端を拾い集め、光を使って即席の“映画館”を作り上げる場面は、本作の核心だ。この映画が、失われていくものを悼むだけの作品ではないことが、ここではっきりと示される。

映画とは、最新の技術そのものではない。光と影を信じる心であり、何かを伝えたいという衝動であり、観る者の心に残る体験の積み重ねなのだ。サマイの姿を通して、監督は「映画の未来は、つくりたいと願う者の手の中に必ず残り続ける」という強いメッセージを差し出している。

近年、映画の楽しみ方は大きく変わった。配信サービスやスマートフォンの普及によって、人々はいつでもどこでも映像作品に触れられるようになった。それ自体は否定されるべき変化ではない。しかしその一方で、映画館という空間で他者と時間を共有し、同じスクリーンを見つめる体験は、確実に希少なものになりつつある。

『エンドロールのつづき』は、そうした変化に伴う喪失感を誠実に描きながらも、そこに希望の光を見出している。サマイの輝く眼差しは、監督自身が「映画は必ず形を変えながら生き続ける」と信じている証なのだろう。

物語の終盤で少年サマイが選ぶ道は、映画そのものの未来を象徴している。失われたものを嘆くだけではなく、変化を受け入れ、その先にある新しい可能性を探すこと。そこにこそ、映画が続いていく理由がある。

映画のエンドロールは、確かにいつか終わる。しかし、その先に続く物語は、光を求める者によって何度でも紡がれていく。本作はその事実を優しく肯定し、映画を愛するすべての人へと届けられた、静かで力強いラブレターなのである。


作品紹介

エンドロールのつづき
監督:パン・ナリン / 製作年:2021年/製作国:インド・フランス合作
配給:松竹/上映時間:112分/映倫区分:G

9歳のサマイはインドの田舎町で、学校に通いながら父のチャイ店を手伝っている。厳格な父は映画を低劣なものだと思っているが、ある日特別に家族で街に映画を観に行くことに。人で溢れ返ったギャラクシー座で、席に着くと、目に飛び込んだのは後方からスクリーンへと伸びる一筋の光…そこにはサマイが初めて見る世界が広がっていた。映画にすっかり魅了されたサマイは、再びギャラクシー座に忍び込むが、チケット代が払えずにつまみ出されてしまう。それを見た映写技師のファザルがある提案をする。料理上手なサマイの母が作る弁当と引換えに、映写室から映画をみせてくれるというのだ。サマイは映写窓から観る色とりどりの映画の数々に圧倒され、いつしか「映画を作りたい」という夢を抱きはじめるが――。

別冊】キネマ・ハライソ Vol.003 カシミヤおすすめアジア映画特集|开司米愛心亜細亜電影楽園

アジアの中でも映画がアツい7ヶ国(台湾・韓国・中国・香港・インド・イラク・ベトナム)のオススメ映画を掲載

掲載作品:花様年華/重慶森林/堕落天使/春光乍洩/2046/ペパーミント・キャンディー/カップルズ/百年恋歌/トゥクダム 生と死の境界/青の稲妻/長江哀歌/大樹のうた/青いパパイヤの香り/シクロ/夏至/そして人生はつづく/風が吹くまま

■参加クリエーター
コラム:shin/はるこ/kawamitsu/やすよ/mint/piiiyaaa/中原 陸/ぶぶ漬け イラスト:ふせ こに デザイン:エータ

この記事を書いた人
Flow

映画を介して、人との「つながり」、興味の「ひろがり」、感性の「ふかまり」を生み出していきたいです。 コレはと思った作品の背景を調べ尽くすのが大好きです。 映画鑑賞において新しい楽しみ方、変わった視点や切り口など絡めて、そこでしか得られないモノや体験の価値を提供する。いつかそんなものが創れたら… そんな事をいつも妄想しています。

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