忘却の国の狂想曲と消えたフィルム|シネマにまつわる2、3の事柄

シネマにまつわる2、3の事柄

20世紀中に国境も国名も激しく変わった民族のモザイク地域、バルカン半島の歴史は難解すぎて手に負えない。だからせめて映画に学ぶ。

 最初に観たエミール・クストリッツァ監督作品はジョニー・デップ主演の「アリゾナ・ドリーム」だったろうか。前々作「パパは出張中」でカンヌ映画祭の最高賞パルムドールを受賞し、まさに脂の乗った時期にアメリカに移住した、30代東欧出身のイケメン・トップランナーは世界規模の活躍を約束されたのではなかったか。

 だが、監督は米国での撮影後、母国に戻ることを決める。旧ユーゴの古くからの火種は大規模な紛争に発展、戦火が祖国の町と家族を呑み込んだ。作品化せずにいられなかったと言う。

 だからといって彼の映画が怒りや悲しみだらけの戦争劇な訳ではない。いや、そう呼ばれてもいいような戦時下が舞台のものが多いしリアルな政治的作品だってある。

 でも、他人事でなく戦争による故郷喪失を経験したからこその、風刺を超えた悪口雑言の数々が痛烈なギャグになる。大嘘つきな火事場泥棒キャラや少し下品な演出を使っての大不幸の中の大エンターテイメント、それが彼の真骨頂だろう。乱世は盛大な悲喜劇になる。

 帰国後製作の「アンダーグラウンド」は東欧の現代史を題材にした、笑えて泣けるクストリッツァ流”ドタバタ悲劇”の大・大・大傑作だ。

 ’95年、彼はこの作品で2度目のパルムドールを獲る。カンヌの最高賞を複数回受賞した監督は数えるほどだから、文字通り歴史に名が残る巨匠の仲間入りだ。

 実は、作品を最初に観た頃、作中の時制と旧ユーゴ圏の歴史を理解したくて何冊か本を読んだことがある。悲しいかな、僕の努力も理解力も足りず、ここにその複雑すぎる史実を混じえて書くほどの成果がなかったことを告白する(泣)。

 そして巨匠のもうひとつの顔は音楽家。彼のバンドやゆかりの音楽家たちの、ジャンルでは括れない、ファンキーで時にはすっとぼけていたり、時にはベタにメロウな、超エモ・ジプシーサウンドは作中で頻繁に聴くことができる。この音楽が映画の旨みとして、準主役級の動物達と一緒になって大活躍している。

 邪推だが、彼は自作他作に関わらず主演含み出演数もまあまああるくらいだから(「アンダーグラウンド」にもちょい役で出演)、元々が目立ちたがりなのかも知れない。いまもちょっとイケオジだし。

 僕が「アンダーグラウンド」体験後に一度レンタルで観たきりの、最初のパルムドール作「パパは出張中」。この作品、劇場上映はおろか配信でもブルーレイでも現在は観ることができない。

 紛争中の時期にマスターフィルムが紛失したというのだ。何年か前にそのことを知って驚いた。90年代のヨーロッパで、カンヌの最高賞作の原板が失くなるなんて。「黒猫・白猫」を劇場でゲラゲラ笑いながら観ていたあの頃にだ。

 クストリッツァ作品のクレジットを見ていくと、数年おきに製作国表記が変わっていくことに気付く。いまは無いユーゴスラビア社会主義連邦、次作では表記から社会主義が取れていたり、今度はセルビアになったり。映画の都ベネツィアから一泊旅くらいの地域の話だ。ジプシー哀歌はいまだってリアルなものなのかも。

 ずっと先でもいい。消えた「パパは出張中」のフィルムを探すロードムービーをいつか撮らないものかと思う。終らない祝祭のジプシーサウンドで彩られたノンフィクション作品として。

 ドナウ川に浮かぶ、終らない物語を僕らはずっと観ていたいのだ。


アリゾナ・ドリーム

監督:エミール・クストリッツァ
1992年製作/140分/フランス
劇場公開日:1994年7月30日

それぞれのアメリカン・ドリームを胸に秘めた個性的な登場人物たちが織りなす人間模様を、ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督が、ジョニー・デップ主演で描いたブラック・コメディ。叔父の結婚式に出席するためにアリゾナへやって来たアクセル。叔父が営む自動車販売の仕事を手伝うことになった彼は、夫を射殺した過去を持つ未亡人エレインと、彼女の義理の娘で自殺願望のあるグレースが暮らす家に転がり込むが……。


アンダーグラウンド

監督:エミール・クストリッツァ
1995年製作/171分/G/フランス・ドイツ・ハンガリー合作
劇場公開日:2023年10月27日

1995年・第48回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したエミール・クストリッツァの代表作。

1941年、ナチスドイツがユーゴスラビアに侵攻。ベオグラードに住む武器商人のマルコは祖父の屋敷の地下に避難民たちを匿い、そこで武器を作らせて生活する。やがて戦争は終結するがマルコは避難民たちにそのことを知らせず、人々の地下生活は50年もの間続いていく…..


パパは、出張中!

監督:エミール・クストリッツァ
1985年製作/136分/旧ユーゴスラビア

スターリンの影響から未だ脱け出せない1950年代初頭のユーゴスラビアを舞台に、時代の波に翻弄される一家の姿を体制批判をこめて描いたヒューマンドラマ。家族に囲まれて幸せに暮らしていた少年マリック。ところが、父親が愛人にふと洩らした国政批判のせいで逮捕され、強制収容所に入れられてしまう。不思議がるマリックに対し、父親は出張中だとごまかす母親だったが……。1985年度、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞。


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この記事を書いた人
shin
De Stijl arts & sounds 主宰

音楽レーベル De Stijl arts & sounds 主宰。 数組のアーティストの楽曲、MVを細々と制作、リリースしています。 10代の頃から映画、音楽を含むアート全般にカブれて老いてきたオジ。 生業はビジュアル制作関連だが、本人的には「ぼくの本業は"ロマンティスト"」。

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