ミニシアター初めての一本は、はっきり言えば「選んだ」映画ではなかった。映画館に行くつもりも、その作品を観るつもりもなかった。ただ、時間が少し余っていて、行く場所がなかっただけだ。
休日の夕方に用事を終えたあと、駅から少し離れた裏通りを歩いていた。日も暮れ始めた薄暗い中、入り口から漏れる灯りに誘われる様に見慣れない建物が目に入り、足が止まった。まるで隠れ家のようにその場所はあった。
恐る恐るロビーの中を覗いてみると、観たことのない映画のポスターが幾つも貼ってあり、そして談笑するでもなく無表情で開演を待っている数人の姿。映画館なのにポップコーンやドリンク売り場もない静かな空間。
その光景を見た瞬間、異様な感じを受けながらも
なぜか引き返す事ができなかった。
初めて立ち入った空間に少し場違いな感じを受けながらも、なんとなくそこに立ち止まっていたかった。
そもそも、ミニシアターと呼ばれるその映画館がどういう場所なのかも分かっていなかった。
当時の私は、映画が特別好きというわけではなかった。
コマーシャルなどで話題になっている大作映画を、友人たちとポップコーン片手に映画館で観ることはあった。いわゆるシネコンというやつだ。
映画館に行くのは、年に数回程度だった。
大きなスクリーンで観れば興奮できそうな迫力のある作品だけを選んでいた。
だからあの時、その小さな映画館に入った理由をうまく説明できない。
強いて言えば、「今ここで逃したら、もう二度とここには来ないだろう」という根拠のない予感のようなものだった。
並ぶ人の流れに乗りながらなんとなくチケットを買った。その映画のチラシを手に取ったが俳優の名前を見てもピンとこない。結局、あまり目を通さずにそのまま棚に戻した。事前情報を入れたくなかったというより、これから何を観るのか、どうせなら何も知らないままでいたかった。
開演十分前に開かれた客席は、半分も埋まっていなかった。いつものシネコンにあるようなひじ掛けやドリンクホルダーはなく、座席は少し狭い。背もたれも高くない。前後左右に、知らない誰かの気配を感じる距離感だった。
やがてドアが閉まり、上映開始のアナウンスが流れ、場内がゆっくりと暗くなっていく。そして始まりを知らせるブザー。
その一つ一つが、なぜか妙に胸を昂らせた。
「映画が始まる」という事実が、スクリーンより先に、身体に伝わってくる感覚だった。
映画の内容はスムーズに頭に入ってこなかった。
理由は単純で、うまく言葉にできないからだ。
派手な展開はなかった。
分かりやすいメッセージもなかった。
途中で「これはどういう意味だろう」と思う場面も、何度かあった。
それでも、目を離せなかった。
物語を追っているというより、その場に流れる時間に身を預けている感覚に近かった。何も起きていないように見える場面でも、なぜか胸の奥がざわついた。
やがて映画が終わりエンドロールが静かに流れ、誰も立ち上がらない時間が続いた。
照明が点いても、私はしばらく席を立てなかった。感動した、という言葉とは少し異なる。
つまらなかった、という判断もできない。
ただ、「こういう映画があるんだ」と知ってしまった。
映画館の外に出ても時間の感覚が上手く戻らない。さっきまで座っていた客席が別の時間軸にあったような気がして、少し戸惑った。
帰り道、頭の中では映画の断片が何度も頭に浮かんだ。それは印象的なシーンではなく、そこに漂う流れのようなものだった。
台詞よりも、沈黙。
物語よりも、空気。
それまでの私は、映画を「分かるもの」だと思っていた。筋書きを理解できて、感動を言葉にできて、誰かに説明できるもの。
でも、あの日観た映画はどれも違った。
分からないまま、心のどこかに残り続ける。
説明できないのに、忘れられない。
説明しようとすると、こぼれ落ちてしまう。
その曖昧さが、なぜか心地よかった。
それから、私は少しずつミニシアターに通うようになった。とはいえ毎週ではなく、映画祭を追いかけるわけでもない。ただ、「分からなくてもいい時間」を求めて、気が向いたときに足を運ぶようになった。
いつの間にか映画館に入る前の時間が好きになった。チケットを買い、チラシを眺めながら客席に座り、暗くなるのを待つ。多幸感にも高揚感にも似た時間。そして始まりを告げるブザー。
その音を聞くたびに、ミニシアターに誘われた灯りと最初の一本を思い出す。
もし、あの日あの映画を観ていなかったら、映画館は今も、目的のある場所のままだっただろう。
「観たいものがあるから行く場所」でしかなかったはずだ。いわば「面白かった」と「つまらなかった」を瞬時に判断してしまう即時的な価値基準しか持てていなかっただろう。
今は違う。
何が始まるか分からない時間そのものを、味わうために行く場所になった。そしてよく分からないものを咀嚼して、ゆっくり自分の中で腑に落としていく時間が何よりも好きな行為となった。
ミニシアター好きになる最初の一本は、名作でなくていい。感動作である必要もない。誰かに勧められる映画でなくてもいい。
ただ、あの日。
たまたま観た作品の中で流れた時間と、帰り道に感じた余韻が、自分を少しだけ現実の外側に連れ出してくれた。
それだけで、充分だった。