時を詩う両翼のファンタジー|シネマにまつわる2、3の事柄

随分むかし、イングリッド・バーグマン主演の名画を何作か続けて観たことがあった。「凱旋門」、「カサブランカ」なんかだ。

 クルト・ボウワという俳優がそれらの作品に出ていた認識は当時はなかった。

 最初に彼の存在を認めた作品は、ヴィム・ヴェンダース監督「ベルリン・天使の詩」。88年の春。

 ボウワは、ナチス党支配以前のベルリンを知る老人を演じる。東西冷戦の象徴である壁により二分されたポツダム広場とベルリンの街を憂う語り部ホメーロス。

 脚本がキャスティングのあて書きだったことは想像に難くない。ボウワ自身が、ナチを逃れて渡米しハリウッド俳優になったユダヤ系のベルリン市民だったから。特殊な歴史を持つ二つのドイツ、そして分断された街を彼に語らせる、監督はそう考えたのでは。

 モノクロとカラー、天界と地上界、この作品は二つの世界の一つの物語。恋を知り天使から人間になるダミエル(ブルーノ・ガンツ)と、見護る側にいるカシエル(オットー・サンダー)。

 色のある世界に憧れ、人間として生き始めるダミエルの「人生」の続きを期待させて物語は終わるが、最後のカットは、ポツダム広場を壁に向かって歩くホメーロスの後姿。「乗船完了!」の台詞はナチスドイツを逃れた出国の回想か、ダミエルたちへの花向けの言葉かは観る側に委ねられる。

 壁が消え、東西統一を果たしたドイツ、前作から6年、ベルリンで次の物語が撮られる。ダミエルのかつての相棒、天使カシエルの人間体験の物語、「時の翼にのって/ファラウェイ・ソー・クロース!」。そう、映画も”二本一対”の作品。

 海外の出来事とは言え、中国での天安門事件のニュースは震えたし、1990年前後の冷戦構造の激動はリアルタイムで感じていた。

 続編封切りの告知。東西冷戦後のベルリンという都市に、前作を観たこともあり興味があったが、何より大好きになった作品の「その後」を見たかった。

 今回のカシエルの相棒は、ヴェンダース作品の永遠の天使、ナターシャ・キンスキー(ラファエル役)。人間になったカシエルを振り回す堕天使エミットに、良作に彼ありの名バイプレイヤー、ウィレム・デフォー。彼は今作のテーマ「時」を司る重要な存在。そしてサーカスの仲間たちやピーター・フォーク(!)も引き続き登場している。

 前作のロック詩人がニック・ケイヴだったところを、今作では御大ルー・リードが人間カシエルの代弁者として歌う。

 いろいろな前作との対比も面白いし、モノクロとカラーの使い分けも相変わらず好きだった。それに、少しだけベルリンの街が明るい雰囲気になっていたことが映画を通してわかる。

 最初に驚くのは、ソ連最後の最高指導者、ミハイル・ゴルバチョフ氏の登場。天使カシエルが、ペレストロイカ、ソ連解体について自問する彼の心の声に耳を寄せるシーン。ソ連解体もまだ記憶に新しいその大国の元首であった人物を出演させるとは、ドキュメンタリーを多く製作してきたヴェンダースらしいと思う。

 大きく変わったドイツ、壁崩壊以前の憂いが残るベルリン、この作品にクルト・ボウワはいない。クランクインを待たずに91年、彼は”天使”になっていたから。

 物語は、カシエルが善悪の彼岸を行き来し進行していくが、最後の「船出」のカットで、前作のラストシーンとの繋がりに気づく。そしてエンドロールを待たずに、今作がクルト・ボウワに捧げられていることを告げられる。涙。

 そういえば、一作目のエンドロールでは先輩映画人たちをファーストネームで呼んで作品を捧げていた。”先に天使になった”ヤスジロウ(小津)、フランソワーズ(トリフォー)、アンドレイ(タルコフスキー)。こういうの、たまらない。

 長いロード・ムービーを撮る前にドイツ国内で手速く完成できる作品として「ベルリン・天使の詩」は着手されたらしい。撮り進めるうちに、ヨーロッパの歴史が動いていく。続きの物語を監督自身も想像し始めたんだろう。

 旅する映像詩人、ヴィム・ヴェンダースのこの一対のニ作を、あの時代にリアルタイムで体験できて幸運だったと思う。そして、ドキュメンタリーの最新作では、同い年のドイツ人アーティスト、アンゼルム・キーファーを追う。

 「アンゼルム”傷ついた世界の芸術家”」。耳元で囁くようなモノローグのダビング処理はベルリンニ作のモノクロ部分を思い起こさせる。

 そして、キービジュアルの一枚にもなった、地上を見降ろす巨大な翼のオブジェ作品。   

 古いファンなら想像しない訳にはいかない。彼がリスペクトして止まない天界の先人と、彼が名付けた愛しい天使たちのことを。

 ヴェンダース監督の耳元には彼らがずっといたんだね。また涙。


ベルリン・天使の詩

監督:ヴィム・ヴェンダース
1987年製作/128分/G/西ドイツ・アメリカ合作

「パリ、テキサス」ヴィム・ヴェンダース監督が10年ぶりに祖国ドイツでメガホンをとり、1987年・第40回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した傑作ファンタジー。壁崩壊前のベルリンを舞台に、人間に恋してしまった天使の運命を、美しく詩的な映像でつづる。人間たちの心の声を聞き、彼らの苦悩に寄り添う天使ダミエルは、サーカスの空中ブランコで舞う女性マリオンに出会う。ダミエルは孤独を抱える彼女に強くひかれ、天界から人間界に降りることを決意する。ブルーノ・ガンツが主演を務め、テレビドラマ「刑事コロンボ」のピーター・フォークが本人役で出演。脚本には後にノーベル文学賞を受賞する作家ペーター・ハントケが参加した。1993年には続編「時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!」が製作された。


時の翼にのって ファラウェイ・ソー・クロース!

監督:ヴィム・ヴェンダース
1993年製作/147分/ドイツ

ベンダースのヒット作「ベルリン・天使の詩」の続編。天使カシエルは、親友ダミエルが去っていったベルリンの街で、壁崩壊後に様々な思いに揺れる人々の心を覗いて過ごしていた。ある日、ふとしたことから人間世界に降りることがかなったカシエルはダミエルを訪ねるが、自分にはそんな幸せな生活は想像できなかった。天使や堕天使たちに見守られながら、人間としては無力なカシエルの苦悩の日々が始まる……。


アンゼルム”傷ついた世界の芸術家”

監督:ヴィム・ヴェンダース
2023年製作/93分/ドイツ

ドイツの名匠ヴィム・ヴェンダースが、戦後ドイツを代表する芸術家アンゼルム・キーファーの生涯と現在を追ったドキュメンタリー。

ヴェンダース監督と同じ1945年にドイツに生まれたアンゼルム・キーファーは、ナチスや戦争、神話を題材に、絵画、彫刻、建築など多彩な表現で作品を創造してきた。初期の創作活動では、ナチスの暗い歴史から目を背けようとする世論に反してナチス式の敬礼を揶揄する作品をつくるなどタブーに挑み、美術界から反発を受けながらも注目を集めた。71年からはフランスに拠点を移し、藁や生地を素材に歴史や哲学、詩、聖書の世界を創作。作品を通して戦後ドイツと「死」に向き合い、傷ついたものへの鎮魂を捧げ続けている。

ヴェンダース監督が2年の歳月をかけて完成させた本作は、3D&6Kで撮影を行い、絵画や建築が目の前に存在するかのような奥行きのある映像を表現している。アンゼルム・キーファー本人が出演するほか、再現ドラマとして息子ダニエル・キーファーが父の青年期を演じ、幼少期をヴェンダース監督の孫甥(兄弟姉妹の孫にあたる男性)アントン・ベンダースが演じる。


イラストレーション:neko rumi ishii


装飾品作家 学生時代より、もの作り作家として活動を始める。 1997年、表参道「Rocket」にて初個展。 「dicokick」のデザイナーとして9年間勤めた後、2021年、ブランド「neko」を始動、少しずつイベントに参加。「1から創り出すもの」にこだわり、アート感を感じられるものを製作しています。

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この記事を書いた人
shin
De Stijl arts & sounds 主宰

音楽レーベル De Stijl arts & sounds 主宰。 数組のアーティストの楽曲、MVを細々と制作、リリースしています。 10代の頃から映画、音楽を含むアート全般にカブれて老いてきたオジ。 生業はビジュアル制作関連だが、本人的には「ぼくの本業は"ロマンティスト"」。

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