1983年公開、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』(以下『戦メリ』)の存在を知ったのは、『フィルムメーカーズ 2 北野武』 (責任編集:淀川長治、キネ旬ムック、1998)の中で紹介されていたのを中学生の時に読んだ時だ。その時はビートたけしの出演作品の中でとても重要な一本だという認識だけだった。その本を読むのと同時期に坂本龍一の『/04』というアルバムを聴き、当然のごとく“Merry Christmas, Mr. Lawrence”という名曲の洗礼を浴び何度も何度も聴いた。しかしこの曲が何に使われたかわかるまで時間がかかった。そしてこの曲が『戦メリ』のテーマ曲だとわかったのと同時に坂本龍一がこの映画に出演していることがわかった。
音楽家が映画のキャスト?
中学生当時はそれがとても意外だった。自分の中で『戦メリ』はどんどん大きな存在になっていった。洗礼といえば映画も自らすすんで観始めた。前述した『フィルムメーカーズ 2 北野武』をきっかけに北野武の『HANA-BI』と、なんとなく黒澤明の『用心棒』をひょいっと借りて観て、どんどん映画が好きになっていった。
高校生になって、デヴィッド・ボウイが好きになった。ここで再び私は『戦メリ』と邂逅する。ボウイも出演していると知ったのだ。この時点で私は大島渚監督の映画をいくつか観ていた。『白昼の通り魔』(1966)とか。北野武(ビートたけし)が好き。坂本龍一が好き。デヴィッド・ボウイが好き。大島渚が好き。好き好き好き好きの四重丸である。これは絶対観なければと思ったが、レンタルショップに行ってもDVDがない。ぐるぐる店を何軒か回り、ようやくVHSを見つけた。そしてついにようやく『戦メリ』を観たのだ。
……不思議な、しかし美しい映画だと思った。
いや内容もそうなのだが、画面全体が最初から最後まで上下にカクカク動いているのだ。私は、こんな映画観たことない!と感動した。その後大学生になってから、DVDで観た。観たら、あれえ?カクカクはしていなかった。
単なるVHSの故障だった。
唐突だが、映画には神様がいると思う。神様?と当然なるだろう。そんなもんいないよという人もいるだろう。だから「奇跡のショット」あるいは「二度と撮れない偶然(事故的・故障)のショット」と言ってもいいかもしれない。これらを私は勝手に「映画的瞬間」と呼んでいる。例えばどういうシーンを映画的瞬間と呼ぶか。
『戦メリ』のクライマックス、ボウイ演じるセリアズが坂本演じるヨノイの頰にキスする瞬間、映像がカクカクする。あれは実はカメラの故障で生まれたシーンだという。編集の時点でコマが足りずコマを引き伸ばしてつくったのだった。 そう、事故だったのだ。しかしそれが却ってひどく美しい。
大島監督は著書の『ぼくの流儀』(淡交社、1999)の中で、まず映画のテーマや伝えたいことは考えずにとにかくつくり、完成して上映した時にようやくテーマがわかってくると言っている。それを踏まえて『戦メリ』についてはこう書かれている。
『戦場のメリークリスマス』で描きたかったのは、人間は誰かと心を通じたいものだ、ということです。辛さ、せつなさ。そして、それが通じないから、そうした相手を余計いじめたりする。で、その気持ちが、通じた時の喜び。通じたものが別れなくてはならない時の悲しみ p.150
この大島監督の文章の〈戦場のメリークリスマス〉のところを例えばこれを読んでいるあなたの創作物の名に替えても……どんな作品にも当てはまると思う。
変な映画と揶揄されたり、単にホモセクシャルな映画と言われることもある『戦メリ』だが、実は人間にとってとても普遍的なテーマを扱っている作品なのだ。
ところで、2023年2月8日、仕事が終わった私は、『戦場のメリークリスマス4K修復版』が最後の大規模ロードショー公開(後に坂本龍一が亡くなり、その追悼ロードショーが規模は縮小されたが4K上映で行われた)ということで、静岡から電車に乗って東京の立川シネマシティに観に行った。初めて映画館で観る『戦メリ』はやはり美しかった。そして観終わった後ポスターを買い、電車で静岡に弾丸で帰って、その足で仕事にまた行った。
戦メリの関連書籍は片っ端から読んでいる。原作小説でL・ヴァン・デル・ポスト作:影の獄にて、『戦場のメリークリスマス』知られざる真実 、戦場のメリークリスマスシナリオ版、ぼくの流儀、わが封殺せしリリシズム、大島渚著作集 第3巻、大島渚の世界、音楽は自由にする、坂本図書、戦場のメリークリスマス公式パンフレット、公開当時のキネマ旬報……。戦メリ関連のラジオ番組も当時録音されていた音源をYouTubeやニコニコ動画で漁っている。
それぐらい、この映画が好きだ。未見の方がいたら是非一度観てほしい。私の『戦メリ』の探究はまだまだ続く……。
注: 『戦場のメリークリスマス』の制作過程、環境には陰湿な、今では労働基準的にとても考えられない部分、いわゆるネガティブの部分もあるというが今回はあえてそこには踏み入らない。というより自身、今なお調査中のため中途半端に踏み入ってしまわない方がいいと考えた。映画のポジティブな部分と自分自身のエピソードに今回はなるべく絞った。