映画とは第一印象、初めて観た感想が観た人にとってのすべてということがほとんどな気がする。 他人の意見や感想、批評と比べていくうちに自分の意見が固まっていくような気がするが、実は言語化できていないだけだったり、覚えていないだけで、第一印象というのは観た人自身のすべてなのではないか。
観た映画の第一印象が良かれ悪かれそれがその人にとってオリジナルな感想、意見なわけで、もし映画を観終わった後に解釈が人とまったく違っていても、それどころか設定や物語すらちゃんと理解できていなくても、それは恥ずかしがって消すものではなくて何らかの形で残しておくべきものだと思う。
意外と自分が観た映画の第一印象ってすぐ忘れたり、記憶が他人の評価や評論などで塗り変わるが、それって本当にいいのかとよく思う。 たとえ解釈が間違っていてもいいものなのでは?それが映画なのでは?映画って寛大な表現なはずでは? ……補足すると、他人の評価や評論を信じてはいけないというわけでは決してない。
私の場合映画は観終わったらすぐにメモをする。それから人の評価や評論を見聞きしてさらにまとめていく。でも第一印象のメモは消さない。第一印象というのは直感に近いはずなので意外と振り返ってみると芯をついていたりするからだ。 ざっくり単純に言うと自分の直感を信じることが映画を観る上でも大事……とも言える。
映画とは、極論、面白いとか面白くないとかそういう単純な感じ方で十分いいはずなのだが、それを許さない考えをもっている人もいる。それは私にはとても否定できない。 なぜならそういう人もいてくれないと映画の楽しみ方が広がらないからである。
私はアニメーション映画監督の高畑勲さんと、一度ある機会にお会いして少しだけお話しさせてもらったことがある。その時、「映画はいろんな観方ができるからね」と高畑監督は私に語ってくれた。 ご本人にとっては何の気なしの語りだったとは思うが、自分は今でも覚えている。 凝り固まった一辺倒の観方ではつまらないし、ヘタすると諸問題を起こしかねない気もする。
だからこそ、映画を評論、研究する人はいるべきだし、そういう人になりたいというのも全く否定しない。 ただ、言っておくべきだと思うのは、そういういわゆる研究だったり論考というものは、時に非常につらくしんどく疲れるものであるということである。全部が全部、年がら年中楽しい人はいないはず。 というようなことをこの頃映画を観ていて改めて感じている。