わたしの中での結構あるあるなのだが、夢の中で泣いていたと思ったら、起きたら本当に泣いていたり、みた夢の話がすごく出来たストーリーで、映画にしたらなかなかいい線いくんじゃないか、書き留めておけば良かったな、と思ったり。はたまた天国の祖父母が出てきて、今自分に必要なドンピシャな事を言ってくれたり。
寝る直前に考えていたことや自分の心の奥・頭の奥底に眠っていることが夢に出てくる、とよく聞くが、つまり自分で気づこうと思っても気がつけない“無意識ゾーン”にいる事たちが何かがフックとなってこじ開けられてモヤモヤと出てきているんだと思う。そう考えると、夢をみるということは自分と深く向き合う最もイージーな方法で、とっても貴重な経験なのかもしれない。
さて。先日イングマール・ベルイマンの“野いちご(1957年)”を観た。まさかサブスクで配信されているとは…! “野いちご”は、老教授(イーサク)が夢や記憶を通して自身の孤独や過去の過ちと向き合うというストーリー。冒頭から夢の中に出てくる針のない時計のモチーフや、棺桶に入った自分。以前愛した女性や幼い頃の記憶。
知らないふりをして心の奥に敢えて閉まっていた自信の感情や後悔、怒りを、息子の妻や若者たちと自身の授賞式に向かう道中で思い出していくという、まさかの“ロードムービー“仕立ての作品だ。ベルイマンお得意の感情の動きの変化がとても繊細に描かれている。
わたしは本作を通じて、なんだかイーサク(主人公)が“かわいそう”という感情を抱いたのだが、一方で、かの淀川長治先生はこの作品を”怖い映画“と評してる。 最終的には、イーサクは自分の本当の心と向かい合えた。ハッピーエンドではないし、もう過去はどうしようもないことかもしれないけれど、少なくとも”これから“は変えられる、少しの救いはある映画のような気がした。作者が予期しない事もあるかもしれないが、どう観るか、感じるか、捉え方が観る人によって変わるという魅力も映画鑑賞の面白いところだと思う。
ベルイマンはスウェーデン出身の映画監督。世界三大映画祭を制覇し、スウェーデンの巨匠と呼ばれる伝説的な存在である(少なくともわたしには)。ちなみに、本作もベルリン映画祭グランプリを受賞している。人間の内なる感情を静かに描くのがとても上手く、そして我々鑑賞者にも作品や自己を考える・向き合う余韻を与えてくれる監督だ。 個人的には監督最後の作品、5時間に及ぶ超大作“ファニーとアレクサンデル(1982)”で、映画を撮る楽しみを味わい尽くした、と言って引退しているのがめっちゃくちゃカッコいい。
戯曲を書いたり、ストックホルムの王立ドラマ劇場の総監督も務めていたりと、映画監督引退後は舞台演劇に専念、舞台演出家兼脚本家として活動するなど、映画だけでなく演劇にも精通していたベルイマン。90年には三島由紀夫の「サド侯爵夫人」を演出し、来日公演していたということは、わたしも知らなかった。
映画ファンの中ではベルイマンといえば巨匠のひとりとして話題にはかかせない人物。でも、もっともっとたくさんの人に知ってもらいたい監督のひとり。“野いちご”は作品の中でも比較的にわかりやすい作品だと思うので、ぜひここから、ベルイマンの世界を味わっていただければ嬉しい。
野いちご
1957年製作/89分/スウェーデン
スウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンが、ひとりの老人の1日を通して人生のむなしさや孤独をつづり、ベルリン国際映画祭金熊賞をはじめ数々の映画賞に輝いた傑作ドラマ。名誉博士号を授与されることになった老教授が車で授与式場へと向かう道のりを、老教授の回想や悪夢を織り交ぜながら描いていく。老教授を演じるのはサイレント期の名監督として知られるビクトル・シェストレムで、本作が遺作となった。